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2011.03.30

第104回目の『音姫』は☆

第104回目の『音姫』は☆
お客様に、THE YOUTHの中村維俊くんと三井律郎くんをお迎えします。
写真のように、歌を数曲歌ってくれました。

2人には、今の想いも話してもらいました。

今回は出演出来なかったけど、大樹くんも無事です。

みなさんからいただいたメッセージも紹介します。


3月31日深夜1時からの音姫、よろしくお願いします。

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2011.03.29

3月19日のこと。

家族と一緒に眠ることが、こんなに安心するのかってくらい、今まで眠れなかったことが嘘みたいに、たっぷり眠れました。

やっと、地震酔いの症状も薄れてきました。

心も身体もリセット、リラックスが出来たと思います。

妹が仕事に行ってる間は、2匹のチワワを見てました。
ハニーもそうだけど、やはり、どこのワンちゃんも、相当ストレスを感じているようですね。

ハニーは顔周りの毛が抜け、薬を飲んでいるため余程のことでは出ないはずの持病の発作が出てましたが、妹の家のチワワの1匹は、ご飯をあまり食べなくなってました。
早く、ワンちゃんたちの心の傷も癒えると良いなぁと思います。


妹が帰って来てから、また父の家でご飯を食べて、マッサージで身体をほぐして自宅に帰って来ました。


帰ってから改めて、親戚のことを聞きました。
亡くなったのは、祖父の妹にあたる方なのですが、誰も、事実を祖父に伝えられずにいると。
私は伝える立場じゃないけれど、伝える方の気持ち、それを聞いた祖父の気持ち、またいろいろ考えたら、辛くなりました。

ぶつける先が見当たらない怒りみたいのも出て来ました。

こんな時、私に何が出来るんだろう。

考えても考えても思いつかない。

そんな無力な自分が嫌になりました。

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2011.03.28

3月18日のこと。

今まで距離を感じていなかった青葉区から泉区への移動が、なんだか、感覚としてはとても遠いところに出かけるようでした。

あの日から1週間。
大きな地震を体験した場所にまた行くのは、少し怖かったし、また起きたら?と不安もありました。
でも、いつまでもそうは言ってられません。

懐中電灯や携帯電話のスペアバッテリー、軽食でも食べられる物、飲み物をリュックに詰めて持っていないと、どこか落ち着かない生活は、まだ続いています。
今までなら、飲み物は途中のどこかで、食べ物もお腹空いたら買えるでしょ、って思ってたけど。

自分のだけじゃなく、何か差し入れしたいとの気持ちから、fmいずみのみなさん分のおにぎりも握って、家にいっぱいあった栄養ドリンクも持って、出かけました。
重かったけど、重いくらい荷物を持って出かけないと、安心出来なくなってしまいました。

地下鉄で台原駅まで行って、そこからはバスに乗り換えて泉中央へ。
朝9時くらいでしたが、スムーズに行くことが出来ました。

地下鉄内の雰囲気も、これまでとは違い、私のようにリュックか、トランクなど大きな荷物を持ってる方がほとんどでした。

fmいずみのスタジオが入っているスウィングビルは、未だ立ち入り禁止だったので、この日は泉区役所からの生放送をしていました。
そこに私も30分ほど出演し、自分なりに、伝えられることを話ました。

泉中央の辺りでも、出来るお店はランチを提供していたので、お昼ご飯はfmいずみの方と、泉警察署近くのソムリエに行きました。
久々のセットメニュー、満たされました。

聞くと、お店の方も、普段ならば配達してもらっていたところが、ガソリン不足の影響で配達が出来なくなっていて、直接、お店の方がそちらに出向いて、買えるものを買って、そこから作れるメニューを出しているのだとか。
業者さんも、長時間並んで材料を調達しているんですね。
有り難いことです。


この日は、車を引き取れるとのことだったので、駐車場に行きました。
高さ的には、6階になるその場所では、車もかなり動いていました。

真っ直ぐ駐車したはずの私の車は、斜めになっていてもうすぐで隣の車にぶつかるところでした。
フロントガラス部分に置いていた小さいフィギュアは、運転席の足下まで吹っ飛んでました。
でも、それだけで済んだ、と言えます。
車同士ぶつかっていた方も多数。

また改めて、地震の大きさを実感しました。

1週間ぶりの運転だったのに、数ヶ月乗っていなかったんじゃないかと思うくらい、久々に感じました。
時間の感覚が、おかしくなってますよね。

車が戻ったことで行動範囲も広がったので、泉区に住む母を迎えに行って、一緒に数店を周り、お買い物しました。

どのお店も、食べ物はほとんどありませんでしたが、ハニーのご飯、飲み物、飴などが買えました。

そのまま母と、妹の家に行き、シャワーを借りました。
それまで、ポットで湧かしたお湯を使って、洗面所で髪や身体を洗っていたので、シャワーを浴びることは、幸せでした。


久々の幸せに浸っていたら、栗原市に住む父方の祖母から電話がありました。
私も何度かけても自宅電話がつながらなかったのですが、あちらからも同じだったようで、公衆電話からかけてくれました。

先日従兄弟から聞いたように、自宅は多少斜めになっているけど大丈夫、日中は、伯父はボランティアに出かけ、伯母は仕事に行ってるから、1人で寂しいけど、周りに住む親戚などのおかげで、頑張ってるよ、とのこと。

心配さは変わらないけれど、声が聴けて、少し安心しました。

祖母の家の向かいには、私が小さい時から食べていた豆腐屋さんがあるのですが、そちらは、建物が30センチほど陥没し、機械もダメになったし、高齢ということもあってまた1からスタートするのは諦め、店を閉めることを決めたそうです。
家族ぐるみのお付き合いで、祖母の家に行く度に、そのお店の豆腐や納豆や油揚げを買うのが楽しみで、さらにはそのお店の商品が世界で1番美味しいと思っていました。
私にとっても、もう親戚なくらい、小さい時からよくしてもらっているお店でした。
父も、出来たての温かい納豆の味は、食べた人にしか分からない格別の美味しさだ、とそれを食べて育ったことを誇りに思っていました。
ずっと変わらない味で存在していく、と思っていたのに、もう食べることが出来ない。
かなり残念で、悲しいです。


そして、この日は、その後、もう1つ悲しいニュースが入ってきました。
地震直後から誰も連絡が取れず、親戚みんな、ずっと心配で探していた、石巻市に住む母方の親戚(母の伯母にあたります)が、亡くなっていたことが分かりました。
発見された状況から、自宅にて津波の被害に遭ったんだろう、ということです。
きっと連絡が取れないだけで、どこかの避難所にいるはず、と信じていた、信じたかったのに。
まだ、この気持ちを表すのにぴったりな言葉が見つかりません。

現実として受け止め切れてません。

確定してしまった親戚、まだ連絡が取れない友人、考えると押しつぶされる思いでした。


ボーッとした状態で、近くに住む父の家にご飯を食べに行き、そこでまた栗原市の親戚からの電話で、改めて祖母のことや、食料の状況を聞いて、少し安心感ももらって、そのまま、妹の家に泊まりました。

というか、いろんなことを考え過ぎて許容量を越えたようで、妹と話している間に、スイッチが切れたみたいに、いつの間にか寝てしまっていたそうです。
前日から寝ずにいたというのもあるかと思いますが。

これから先、嬉しいニュースもあるだろうけれど、同じくらい悲しい出来事もあるかもしれない、という新しい不安が生まれたような日でした。

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2011.03.27

3月17日のこと。

すっかり、朝と夜が反対になった生活になってしまいました。

眠ろうとしてもすぐ起きてしまうので、夜にブログ書いたりメールをしたり、眠ることを諦めてしまいました。

これも今だから分かることですが、いわゆる地震酔いっていう症状だったんだと思います。

24時間、ほとんどの時間、揺れてる感覚でした。

だから、本当に限界まで眠くならないと、眠ることが出来ない。
ずっと飛行機や船などの乗り物に乗っている感じで、気分も良くなくて、食欲も湧かない、吐き気がする。
揺れてると思ってるから、座ってても立ってても、ずっと踏ん張ってました。
だから、身体の緊張もとけない。

この時はそれが地震酔いと言われる症状だとまだ気付いてなかったから、余震が多すぎる、いつになったら落ち着くんだろうって、思ってました。
そして、みなさんも、その多い余震に耐えてるものだと思ってました。

実際に、日に何度も余震はありましたが、私の感覚としては、1日中揺れてました。

寝るのは、日中の、眠さの限界が来てから、次の余震が来るまでの数時間。
長い時間は寝てませんでした。


そんな中でも、この日もちょっとずつ連絡が取れた方が増えて、それが救いでした。

みんなもそれぞれの状況で頑張っているから、私も頑張ろうと思えました。


fmいずみの方からも連絡をいただき、次の日に行くことにしました。
可能なら、置きっぱなしにせざるを得なかった車も持って来ようと。

目的が出来たら、何かますます元気になりました。

相変わらず夜は眠れなかったので、寝ないまま、明るくなったら、出かける準備を始めました。

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2011.03.26

3月16日のこと。

こんな風に、思ったことを、リアルタイムでなくとも、書き綴っていこう、と、ブログに想いを載せた日です。

伝える立場として、何かは伝えたいけれど、いつもならラジオだけど、今は、私ではない、今喋るべき立場の方たちが喋っている。

呼ぶ確率が高いから、いつでも来られるようにスタンバってて、って言われていたけど、きっと、私が今喋る立場だったら、疲れても眠くても、声が枯れても喋り続ける。
それがプロだと思うから。
だから、いつでも言って下さい、と答えながら、呼ばれることはないだろうな〜と思っていたのは、今だから言えることです。

実際、みなさん、今も頑張って喋り続けてますもんね。
その姿に、尊敬の想いでラジオを聴いています。

なので、この日、思ったんです。
ラジオで伝えられないなら、せっかく自分が作ったこの場所で、時間の制限も、情報の新鮮さも必要ない利点を生かし、ただリアルな気持ちだけは伝えられるんじゃないかなって。

それが良いことなのか、悪いことなのか、まだ分からないけど、自分に出来る何かって、その時は、それしか思い付きませんでした。

自分自身も、残しておきたい気もして。
ゆっくりですが、いろんなことを書けました。
また、書くことで、気持ちの整理も出来たように思います。

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2011.03.25

3月15日のこと。

この日は、1日中、家で過ごしました。

自分の部屋に戻ったものの、やはり時々襲ってくる不安な気持ちは消えず…。
また、日々やらなければいけない仕事や、やりたい趣味に追われていた生活が、やらなければいけないのは部屋の掃除と食材の確保、趣味を楽しむどころではない、という生活になったので、時間がいっぱいあり過ぎるような気がして、それがまた不安にさせました。

さりげなく、そんな気持ちを家族にメールしてみたら、母が、マンションに顔を見せに来てくれました。

連絡を取っていたとはいえ、地震後、初めて家族に会ったので、顔を見るとホッとします。

私に会うから、って、途中、長時間並んでの買い物で、紅茶を買って来てくれたのも嬉しかった。
ストックしてた紅茶、棚から落ちた衝撃で缶のフタが開いて全部落ちてたり、水が入って濡れたり、結構ダメになってたから、助かりました。

家族にパワーと安心感をもらったみたいで、母が帰った後、数時間、ハニーと共に爆睡してしまいました。
この時はまだ余震も多く、眠れる時に寝ないと、という感じでしたから、睡眠も、母からのプレゼントになりました。

この日は、前日テレビに映ってたと噂の石巻の子から、直接、無事を知らせるメールが来たり、市内でも連絡が取れていなかった数名から連絡があり、個人的には、久々に満たされた日、って思え、夜が来ることも、怖くなくなり始めた頃だと思います。

地震のことばかり気にするからいけないんだ、って、ハードディスクに溜めてあった海外ドラマを見たり、ちょっとずつ、自分のペースを取り戻す方向で、気持ちを切り替えられるようになってきました。

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2011.03.24

3月14日のこと。

朝から部屋の片付けをして、今夜こそ、自分の部屋で眠れるまでにしよう。

まずはそれを目標にしました。

本当は、この日あったはずのインタビューも、遡れば、土日に予定されていた披露宴の司会や打ち合わせも、当然なくなり、ずっと前から予定され、準備をしていた仕事がどんどんキャンセルになる、そんな経験ももちろん初めてだったので、前日、不安いっぱいの気持ちが爆発状態になったのかもしれません。

いつ仕事が再開するのか、いつぐっすり眠れるようになるのか、いつ不安がなくなるのか、心配なことはたくさんありましたが、ずっと先のことは考えず、1日1日をしっかり生きて、明日につなげよう。

人生において、当たり前のことだったのかもしれませんが、やっと、私にもそう思えるようになりました。

明日以降のことを考えると不安だけど、今日1日ならば、自分にとって良い方向に頑張れるかも。

いろんな人と触れ合うことで、そう思えました。


この日も朝から私のところにやってきて、一緒に遊んでいた小学4年生の男の子が、私が、部屋の片付けをしてくるね、と言うと、手伝う、と言ってくれ、親御さんも、うちの子で良かったらどんどん使って下さいと言って下さったので、遠慮なく頼むことにしました。

部屋は、ほとんど片付けが進んでいなかったので、どこから片付けて良いのか、1人では全く分からなかったのですが、小さい子がいることで、逆に、簡単なことからしよう、と思うことが出来ました。

まずは、今後、倒れている大きな物を直すことを考えて、周りに散らばっている物をまとめよう、と。

幸い、うちには紙袋がいっぱいあったので、落ちてる物を、とりあえず紙袋に入れる、この作業をひたすらしました。
CDやDVDの量がかなり多いので、ほとんどがそういう紙袋になりましたが、2人で頑張ること約2時間。

部屋にはたくさんの紙袋と、見るからにダメになったと分かる物を入れた、悲しいゴミ袋。

おかげで、歩く道を確保するまでになりました。

たくさん手伝ってもらったし、お腹が空いただろうから、1回自宅に帰ることを勧めて、私は1階へ。

掃除しながら見つけたお菓子をお昼ご飯にしました。

すると、マンションの管理人さんが、探してたのよ〜、と私に声をかけてきました。

日頃から気にかけて下さっている方で、今回も、地震の翌日から、手伝えることがあったら言ってね、と言って下さっていました。

その方が何故私を探していたかというと、マンションの理事と相談して下さり、私の部屋の大きいものを理事さんと管理人さんで直しに行こうか?…という提案を話したくて、でした。

こんなにいろんな方に手伝ってもらって良いんだろうか、と思いながら、私は、有り難く、お願いすることにしました。

じゃ、14時過ぎに部屋に行くね、と別れて、また私はハニーの散歩をしたりしてました。

みなさんがいらっしゃる前に部屋にいなければ、と自分の部屋に行こうとしていた時、違う階に住む男性で、近所の避難所のボランティアもしていたので、ここ数日、周りの状況などを詳しく教えて下さっていた方が、良かったら、お部屋の片付け、手伝いましょうか?と声をかけて下さいました。

今から管理人さんと理事さんも来て下さるので大丈夫です、と言うと、人数はいた方が良いでしょう、と結局お願いすることに。

部屋の状況も見ていただき、どこから直していくかを考えていたら、ピンポーンと、午前中に手伝ってくれていた男の子が、続きをやるよ、って来てくれて、そのすぐ後にその子のご両親、兄弟、理事さん、と続々私の部屋に軍手着用で集まり、私含め総勢8名。

管理人さんには、人数もたくさんいるし、他にやることも多そうだったので、いらっしゃる前にインターフォンで断りました。

男性方は、和室チーム、リビングチーム、台所チームと分かれて、それぞれ本棚や食器棚などの大きい物を起こし、壊れた部分を組み立て直し、という作業をテキパキとして下さいました。

おかげ様で、立ち入り禁止になっていた台所に入れるようになり、食材も手に取ることが出来るようになったし、動いて抜けたものの、手前のCD棚を動かさないことには入らなかったコンセントを差せるようになったので、テレビも見られるようになりました。
きっといろいろ取れていた配線も、機械に強い方が直して下さったので、CS放送も無事に、見られるように。

まだまだ片付けなければいけない箇所はあっても、大きい家具が、ちゃんと元の位置にある。
それだけでも、自分の部屋らしさを取り戻した気がして、ホッと出来ました。

そんな空間を下さったみなさんに、感謝です。

まだまだ余震は恐かったけど、同じマンションに、みなさんが住んでいる、ということは、かなりの支えになりました。

食器棚の下で逆さまになっていたオーブンレンジ、炊飯器も、奇跡的に壊れてはいなかったので、この日の夜は、やっと取り出すことが出来たお米、海苔、梅干しで、おにぎりを作りました。
まだ電気が使えない方のことを思うと、なんとなく、レンジは使えませんでした。

おにぎりだけでも、自分で作れるのは幸せ、そして、ご馳走に感じました。


この日の出来事としては、他に、妹から無事だとは聞いていたけど、状況が分からなかった栗原の祖母宅のことを、名古屋に住む従兄弟から電話で教えてもらえました。
県内同士よりも、県外からの方が、連絡が取りやすかったように感じます。

栗原に住む親戚は、無事ではあるけれど、祖母宅は、傾いているとのことでした。
従兄弟も、それ以上の情報はなく、どの程度傾いたのか、避難しなくて良いのか、心配になりました。

また、連絡が取れず心配していた石巻に住む友達の1人が、避難所を映したテレビ番組にて、後ろの方で映ってた、と山形に住む友達から教えてもらいました。
嬉しかったです。

今は、避難所からの映像が増えましたが、この時はまだなく、友達、親戚を探したくて、避難所が映る度にテレビ画面に近付いて隅々まで見ていました。
そんな方も多いのではないでしょうか?


みなさんの協力で、部屋が戻りつつありましたが、まだ怖さもあったので、この日はソファで眠った、というか、明るくなるまでは結局眠れずに、横になっただけでした。
それでも、隣で、ハニーが久々にイビキをかいて寝ていたことが、癒しでした。

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第103回目の『音姫』は☆

先日もブログに書いたとおり、番組に届いたメッセージとリクエストを精一杯お届けします。

ブログを見てメールを送って下さった方もありがとうございます。

ここに書いたことと重複している部分もありますが、改めて、声で、私の今の想いも話しています。

もし良かったら、聴いてみて下さい。

24日深夜1時からです。
約24時間後のオンエアになります。

どうぞよろしくお願いします。

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2011.03.20

3月13日のこと。

初日よりは眠れましたが、夜に余震で何度も起きてしまうのと、やはり慣れない部屋、ということで、深くは眠れなかった気がします。
それでも、夜が明けるとどかホッとする。

恐怖や不安を感じる闇がまた来る前に、やれることをしたい、と、普段、朝が苦手な私が、その部屋で寝ていた誰よりも早く起きました。

またテレビを見て、ちょっとずつ、宮城県の状況を現実のものと理解しようとしますが、あまりにも理解の範囲を越えていました。

みんな大丈夫なのかな、と心配でなりませんでしたが、まだ電気が使えないところもあるし、今連絡が取れない人も、きっと、充電がなくなっただけだ、と、そう思わないと、立ち上がることも出来なそうでした。

そんな時、私が寝泊まりしていた1階の部屋をノックする音が。

すると、やっと電気使えるようになったし、差し入れ作って来たから食べて、と、おにぎりとお味噌汁を持って来てくれた方が笑顔で立ってました。
自分たちの家は、そんなに物も倒れてないし、もう普通の生活が出来るから、と。

この状況で、こんなに他人のことを考えられる方がいるんだ、と感動しました。

ありがたく頂きました。


前日、私が子供たちと遊びまくっていたこともあり、この日も、朝から、おはよーと元気いっぱいに、みんなが各自の部屋から私のところに集まってくれました。

その人数、前日より若干増えて、すっかり保育園、幼稚園状態。
親御さんたちが、買い出しや部屋の片付けをする間、大切に預かることにしました。
何も出来ずにみなさんから与えられてばかりだから、恩返しになれば、と思いました。

またみんなで手をつなぎながら、ハニーのおトイレのためにお散歩に何度か行ったり。
ホワイトボードを使って、小学生の問題を出す子、答える子、分からない子がいたら自分なりに教えてみる私。
充電が出来るようになって使えるようになったDSでみんなが遊ぶのを見守ったり。
ペットボトルのジュースは、私が言う前にちゃんと分け合ったり、おりこうさんばかりでした。
私は大人だから、ちょっとで良いよ、って言っても、ちゃんと私も含めて人数分きっちりジュースやお菓子を分けてくれて、もしかしたら、同類、というか仲間と思ってくれていたのかも。

ハニーのお散歩で出た時、コンビニが開いてる時があったので、チャンスと思い、買い物してくるから、誰かハニー見ていられる?って聞いたら、私できるよ、ってちゃんと外で待ってくれた子もいれば、店内では、自分の好きなジュースでも良いし、みんなで飲めると思えるジュースを、1人2本か3本ずつ持って来てカゴに入れてね、と私が言ったら、ちゃんとお茶系と甘い飲み物のバランスを考えて持って来て、お手伝いをする子も。
お菓子も、好きなの買って良いよ、と言ったけど、なるべく大きな物を手に取って来る。
子供たちの行動に、毎回感心させられました。

1人、めっちゃ大人(私)が混ざってたけど、この頃には、チームとして、完全に成り立ってきた気がします。

家の手伝いで呼ばれて、みんなが部屋に戻るタイミングで、私も部屋に行って着替えたり、ちょっと片付けをしたり。

リビングを片付けている時、ベッドは無事だけど、他の家具が動いたりでまだ寝られなさそうな寝室の扉を開けていたら、ハニーがそっと寝室に歩いて行って、いつも一緒に寝ているベッドの上に乗りました。

ここで寝たい。

そう訴えているようで、申し訳ない気持ちになりました。

片付けが完了しないと、ストーブを付けるのも怖いし、怪我されたくないし、ごめんね、と少しだけお昼寝をさせて1階に。

余震が怖くても、ハニーのために、明日からは部屋に戻らないと。
そう思いました。


この日も、近所で飲食店を経営してる方が、営業再開する前に腐りそうだからみんなで食べちゃおう、と食材を提供して下さって、また、暖かく美味しいご飯を食べました。

外に闇が広がると、その日1日、私が与えていただいたみなさんの優しさに深く感謝すると同時に、自分を責める気持ちが出てきます。

もっと苦しい状況の方が多い中、私は、たまたま良い人に囲まれて、食べさせていただけている。

こんなに甘くて、この先良いんだろうか?
部屋に帰らず、現実逃避してるだけなんじゃないだろうか?
そろそろ、自立することを考えなければ。

今思えば、精神のボロボロ、この日がピークだったと思います。

あんなに大好きで居心地が良かった部屋が、怖い。
いつも何も考えずに入れてたコンビニなどのお店が、並ばないと入れない。
次の日どこで買い物するか、何を食べるか、そんなこと、今までは当日に考えても選択肢はいっぱいあったのに。

今までの自分の暮らしが、いかに贅沢だったか。
恵まれていたか。

考えても考えても、自分に対して、気を落ち着かせる、慰める言葉が見つかりませんでした。


そんな私に元気をくれたのは、やはり子供たちでした。

ご飯を食べて、自分の荷物から歯ブラシを取ろうとした時です。
私のバックの中に、あの日以来見てなかった午後ティストレートが。

恥ずかしながら説明すると、私は、家では暖かい紅茶中毒で、外では午後ティ中毒です。
でも、この状況ですから、コンビニで買うことは出来ず、もちろん手に入った物で我慢してました。
自分の部屋のストックも、倒れた食器棚の下にあって取れず、もう、紅茶のことは、考えないようにしてました。

ん?

買った覚えはない、でも大好きな飲み物に、本気で固まりました。

自分でいつの間にか買ってたなら、すっごい嬉しいけど、絶対買ってないし、悩んでるったって、幻を見るほどではないはず。

あまりに固まって考えていたようで、一緒の部屋にいた方に、どうしました?と話しかけられました。

ここに、見覚えのない午後ティがあるんですよ。

と答えたら、ある方が答えました。

あーそれ、さっきまおさんがいない時に、女の子が、あなたに、って持って来たのよ。
お母さんと買い物に行った時に買ったみたい、と。

その女の子は、ハニーともたくさん遊んでくれていて、お買い物や、自動販売機巡りにも毎回付き合ってくれていました。
だから、コンビニで、やっぱり午後ティ売り切れだ〜って私が言った時も隣にいて、午後ティ好きなの?って、そんな会話が確かにありました。

それを覚えていて、母親と行ったお店で午後ティを見つけて、私に買って来たということです。
そのお店は、1人10品までしか買えないはずで、お母さんも、人数が欲しくて小さい子を連れて行ったはずなのに。
女の子と、ご家族の気持ちが嬉し過ぎます。

もちろん、泣きました。
あの日から、ちょっとのことで泣くようになってしまいましたが、これは、泣くでしょう。

部屋にいたみなさんにとっても、心暖まる話だったようで、部屋の中が、一層明るくなった気がします。

逆に、小さい子もたくましく生きようとしている。
私も、弱音ばかり吐いていてはいけない。
そう思い、自分の中に広がっていたモヤモヤを断ち切って、眠ることが出来ました。

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2011.03.19

来週の音姫。

ディレクターと話し合いまして、みなさんからのメッセージとリクエストを中心にお届けしたいと思います。

音楽が大好きな私だけど、私でさえ、まだ、音楽を聴く余裕がないって1週間過ごしてましたが、そろそろ、音楽が力になると思えてきました。
人によって、そう思えるまでにかかる時間は、違うと思います。

でも、ディレクターから、音姫宛てに、私の安否を案ずるメールや、今これが聴きたい、というリクエストがたくさん来ているという話を聞き、音姫が出来る限りのことはしたいと思いました。

聴きたい曲はあるけれど、片付けが終わらなくて探せない、私みたいな方、他の理由で聴けない方もいらっしゃると思います。

なるべくオンエア出来るよう努めますので、聴きたい曲がありましたら、リクエスト下さい。
今はまだメールが送れない方が大好きな曲のリクエストでももちろん良いです。

宛先は、いつもの音姫のアドレスまで。
hime@datefm.co.jp

どうぞよろしくお願いします!

すでにメールを送って下さった方、ありがとうございます!
まだまだ、ご自分や身近な方の暮らしを守ることに精一杯だと推測される状況の中、番組にメールをして下さるお気持ちが、とても嬉しかったです。
そのお気持ちに応えられますよう、精一杯、喋らせていただきます。


途中で止まってました13日からの出来事のブログ、時間がかかっても載せますね。

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2011.03.18

3月12日のこと。

あまり眠れないまま朝を迎えた私ですが、朝になっても電気が使えないこと、ラジオから聞こえる数字に、だんだん、地震の大きさを実感します。

一緒の部屋には、同じマンションに住む子供たちが泊まってて、朝から、思いがけず、ハニーが大人気に。

ハニーのおトイレのために散歩に行って来るね〜と言えば、子供たちもみんなついてきて、一緒に近所の状況を見たり。
明るいとはいえ、信号が点いてないから、手をつないだり、気を付けながら。

また1階の部屋に戻っても、全力で遊んでいたら、自分の置かれている状況を忘れられそうでした。
ハニーも疲れてるから、ちょっと休憩、と言えばハニーと遊びたいのを我慢して昼寝するハニーを見守って、私と遊んだり、子供ってすごいなぁ優しいなぁって思いました。

1人とハニーだけだったら、もっともっと心細かったから、子供たち、その親御さんたちには、本当に感謝しています。

明るい時間に、1度また自分の部屋に行って、改めて様子を見てみました。
何から手をつけて良いのか、全く分かりませんでした。
一応、全ての写真は撮ったのですが、機会があれば、にしますね。

夜ご飯どうしよう、と思っていたら、マンションの方との話し合いで、電気が点く様子もないし、冷蔵庫や冷凍庫の物が悪くなるから、今日はそれを持ち寄って食べましょう、となりました。
キャンプ用品を持ってる方が、マンションの駐車場で、美味しい暖かいご飯を作って下さいました。
作り置きして保存してた煮物などもあって、他の方がどう過ごしているか、まだ分からなかったけど、この状況の中、家で1人じゃ絶対出来なかったくらい豪華で、申し訳ない気持ちもあり、泣けてきました。

しかも、私の部屋は台所がぐちゃぐちゃで、入れないから、何にも提供出来なかったのに。
助け合いだから、気にすることないのよ。
みなさんそう言って下さったけど、何か、申し訳なさが消えなくて。

だから、途中で抜けて、今夜もここで過ごそう、と決めていた、1階の部屋に、先に戻りました。

明日からはどうしようかなぁ、とロウソクだけの部屋で、1人とハニーで考えていました。

そうしたら、この時も、子供たちが、お姉ちゃん、これ食べてないでしょ〜美味しいから食べて!って、わざわざ持ってきてくれたんです。

子供たちも、子供ながらに、大人も子供も関係なく、みんなで一緒に助け合って生きる、って分かってるんだろうなぁ、と。

普段、こんなに長い時間小さい子と遊ぶことがないからか、こんな時だからか、すごく、癒されたというか、元気をいっぱいもらいました。


幸いにも、この日の22時くらいに、マンションの電気が使えるようになりました。
それなら、と自分の部屋に戻る方もいましたが、私の部屋の揺れは、1階で感じるものより大き過ぎるので、一緒に残る方と共に、そのまま1階に残りました。

やっと見ることが出来るようになった、テレビで見た被害状況と地震直後の津波。
誰も声が出せなくなるほど衝撃的でした。

前日の、県外の友人の心配の理由が、やっと分かりました。

拭えない恐怖心と、不安がありましたが、前日寝てないのと、子供たちと全力で遊んだおかげで、少しは眠ることが出来ました。

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2011.03.17

当日の夜。

私の部屋は、マンションの14階にあります。

停電なので、もちろんエレベーターは動いてません。

階段の電気も消えてるから、危ないよ、と、同じマンションに住む方が、最初は止め、でも行くなら、と懐中電灯を貸そうとしてくれましたが、ちょうどペンライト程の小さなものですが、照らせるものを持っていたので、それで照らしながら、14階まで登りました。

これまで見て来た状況から判断するに、ひどいことにはなってるだろうと思いましたが、確認と、玄関に置いてある懐中電灯と、避難用バックを取りに行こうと。

玄関で、大きい懐中電灯を手にし、照らした我が家は、自分の部屋とは信じられない状態でした。

出していた覚えのない靴が、玄関に散乱。
靴を入れていた扉は閉まっていたけど、地震で、開いたり閉じたりしたのでしょう。

洗面所と廊下が水浸し。
お風呂にいっぱいに溜めていた水が5センチ程に減っていたので、揺れてバシャバシャと、飛び出したと思われます。

リビングから続いている和室は、2メートル程の本棚が倒れてました。

リビングは、ソファが1メートル程動き、扉を塞いでいたので、和室から入りました。
物という物が全て動いていて、テーブル、CDの棚、液晶テレビ台ごと、スピーカーなどなど、全てが1メートル以上は移動してました。

台所は、食器棚が倒れ、入り口を塞いでいたので当日はよく確認出来なかったのですが、冷蔵庫(これも2メートルくらいの高さ)が、20センチ程前に移動。

1番驚いたのは、ピアノです。
アップライトとはいえ、さすがに動いてないと思ってましたが、これも30センチくらい前に進んでました。
ゾッとしました。

元々マンションに付いていた棚類は、地震の時にロックがかかるようになっているので、上に置いていた物は無事でしたが、寝室、ゲストルームも、散々なものでした。

もちろん、足の踏み場がないほど、物が散乱していたし、その全てを、真っ暗の中、懐中電灯で見ると余計にゾクッと不気味で、長くこの場にはいたくない、と思ったので、犬連れで、避難出来るところがあるかは分からなかったけど、取り急ぎの荷物を持ち、また、階段を下りました。


近くに避難所に指定されている小学校があるけど、もしや、と思って覗いたのは、1階にある、会議や親睦会など、マンションの住人同士が集まる時に使っている部屋。
会議室みたいな部屋です。

覗くと、ロウソクと懐中電灯を使って、うまく明るくしていたその部屋には、人が20名くらいいました。
ストーブもあって暖かかった。

自分の部屋が恐かったし孤独だったから、知ってる顔がたくさんあって、どんなに安心したか。
もうすでに数匹のワンちゃんがいて、念のため、犬も一緒で良いですか?と聞いたら、みなさん、どうぞ、と快く迎えて下さいました。

むしろ、今日はどこにいたの?との問いに、泉中央です、と答えた私に、なら疲れてるでしょ〜寒かったでしょ〜と、ガスコンロで沸かしたお湯でお茶を入れて下さったり、ポカリもありますよ?これ食べて〜と言っていただいたり。
暖かい人がたくさん住むマンションで良かった、と、本当に感じました。

幸い、1階の共有トイレは、過去に住人みんなで買った水で、不自由なく使えました。

水や簡易トイレ、簡単な食べ物は、常に住人に十分な数で保管する、避難する時は隣の人にも一声かける、いなかった場合は、配布されている目印(無事、もしくはSOS、で色が違う)を玄関に付けて知らせる。
みんなでいろんな約束を決めていたのです。
そんな話し合いが行われたまさにその部屋で、夜を明かすことになるとは、想像してなかったですけど。

まだまだ余震が続く中、ラジオで聞いた地震の情報では、まだピンとこなくて、実感も湧かなくて、まあそのうち電気も点くでしょう、なんて思ってました。

待っても待っても電気が点かない中、家族と合流出来た方たちは、次々に、ロウソクと懐中電灯で頑張る〜と自分の部屋に戻っていきました。

それでも、何家族かは残って、それぞれ、家から持って来た毛布を使って寝始めましたが、私は、疲れてるはずなのに眠れない。
恐怖なのか、不安なのか、何にか分からないけど、気持ちが落ち着かなかった。
状況が分からないって、真っ暗って、辛いですよね。

余震の度に異様に震えるハニーにも、涙が出ました。

何もしてないと不安になりそうだったから、切れそうだからと家族全員と連絡を取った後、電源を切っていた携帯電話を、手巻きの充電器で使えるようにして、スイッチを入れたら、今までにない程の心配メールが。
特に県外の、きっとテレビを見られてる方からが多く、そのメールの数に、何でこんなに心配されてるの?と、余計に不安になったりもしました。
同時に、孤独感は薄れました。

慣れない環境ってこともあったんですが、その日は、ほとんど眠れないまま、朝になりました。

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当日、ハニーに会うまで。

私は3月11日14時46分、泉中央駅ビルのスウィングに入るfmいずみにて、生放送中でした。
ちょうど曲をかけている間に揺れたので、急いで地震のことを話そうと、マイクのスイッチを入れようとしたまさにその時、さらに大きな揺れにより、キャスター付きの椅子に座っていた私は、そのまま扉まで動かされ、マイクの前にいくことが出来なくなりました。
伝えたい、と思う気持ちがあるのに、すぐそこにマイクがあるのに、たどり着けない、そのもどかしさに、揺れながら、その時は怖さはなく、ただ、悔しかった。
そのすぐ後、私が座っていた位置には、重い放送用機材が動いてきたので、そのまま座っていたら、挟まれ、動けなくなっていたかもしれないし、今は椅子に助けられたと思えますが。

揺れてる間に停電し、すぐにスウィングビル自体に全員避難命令が出てしまったので、悔しい思いのまま、外に出ました。

避難しながら見たのは、これは今までの地震と大きさが全然違う、と思わされる光景でした。
揺れている間は、マイクに向かうことに必死で、そこまで考えてなかったみたいです。

物が落ちたり倒れたりしてるのはもちろんで、ビル内は至るところで壁が落ち、崩れ、ガラスも割れ、泉中央駅近くの道路にも亀裂が多数。
地下鉄は、わりとすぐに、入り口が封鎖されました。

その後の強い余震は、外にいる時だったんですが、電柱の揺れ方、建物のガラスの震え方が、初めて見るものでした。
生き物みたいに動いてました。

雪が舞う中、全ての店、信号が消えた泉中央は、不気味な静けさでした。
道路に、人がたくさんいるのに、みんな、あまり喋らない。
時間が経つにつれ、不安が募る。
口に出したら、いけないって思うくらいの不安。

そんな中、イトーヨーカドーさんの店員さんだけが、声をあげ、売り物の毛布や布団、タオル、ブランケット、とにかく暖かくなるものを全て配っていたのが、印象的でした。
対応の早さ、その気持ちに、一瞬、不安を忘れました。
私も、暖かい敷毛布をいただけたので、大変助かりました。
イトーヨーカドーさん、ありがとうございます!


ビルに入れるようになったらすぐ放送を再開しよう、と待機していたのですが、2時間待っても入れない。
正直、その時は、まさかそこまでとは、と思ってました。


いずみの方の、暗くなる前に帰った方が良い、との指示で、停電のため出せなくなった車を置いて、いただいた敷毛布をかぶり、泉中央から、自宅がある青葉区まで歩くことにしました。

伝える立場として、こんな時に家に帰って良いのだろうか、という気持ちと、1人の人間として、ハニーのことを考えると心配で心配で仕方ない、という気持ち、どっちも強くて、押しつぶされそうでした。

歩きながらも、段差が生じた橋、道路、崩れた壁、割れた大きなガラス、電気が消えたのを見たことのないコンビニを始めいろんなお店の暗さ、いつもなら点き始めるはずの街灯がつかない仙台の街は、どんどん恐怖心を大きくしました。
帰ってる間は、この地震が、どんなに大きなものだったのか、今ほど把握してなかったので、家族、親戚、友達、人間は大丈夫だろう、なんて思ってて、とにかくハニーの無事だけが気がかりでした。

途中、情報を知りたくて立ち寄ったNHK。
まずは、トイレを解放していたので、お借りしました。
停電しているから、自分の前の人が使用中に、扉の上に懐中電灯を当てて、をリレーして。
NHKで見た映像も、まだ土砂で封鎖された道路などだけで、しかも、県外の映像だったので、あまり、宮城県の被害が分からないまま。

今、どういう状況なんだろ?
と思いながらまた歩き、泉中央を出発してから約2時間。

ハニーと、会えました。

涙が出ました。

何回も、ハニーに謝らずにはいられませんでした。

無事でいてくれて、本当に良かった。

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2011.03.16

眠れてますか?

まだまだ余震が続き、熟睡が出来ませんね。
大人になってから、暗くなるのが怖いなんて思ったこと、なかったけど、あの日から、怖くて仕方ありません。

どんどん分かってくる、私が生まれ、育ち、住む、大好きな宮城県の状況に、涙が出ます。

まだ電気が自由に使えない方がいる中で、ブログの更新なんて申し訳ない、微々たるものでも、やっとつながりそうな電波の邪魔になったら嫌だ、と思っていましたが、私自身、電気や水は使えるようになったし、一昨日から自分の部屋で寝てるけど、あの日から、いろんな方と連絡をこまめに取ったりすることや、いろんな方のブログを読むことで励まされているので、同じような気持ちの方のお力になれるのなら、正直な気持ち、見たこと、体験したことを書いていこうと思いました。

命や家があるだけ、マシなんだ。
自分が感じる恐怖、不安なんて、もっと大きい被害に遭われた方に比べたら、小さなものなんだ。
だから、弱音を吐いてはいけない、と思ってませんか?
私はそう思ってました。
けど、私と同じくらいの被害の人と話してて、大変だったね、辛いね、何か出来ることはある?って思っちゃうってことは、弱音を吐いちゃいけない人なんて、マシだ、なんて思うべき人なんて、いないんじゃないか、と思うようになりました。

だから、電気などは使えるけど、まだ余震に怯え、不安な方に向けて、そして、申し訳ないけど、きっと自分のために、書けること、思うことを書いていきます。

話すことで楽になるなら、みなさんの体験も是非教えて下さい。

長くなるので、ブログは分けて更新しますね。


あと、登録だけして何もしてなかったtwitterも、使おうかと思ってます。
1人暮らしの方、夜に孤独を感じる方が、少しでも不安を感じることがなくなれば。
宮城県はもちろん、もっと細かく、市、区、町単位の情報なども、共有出来ればと思ってます。

お手数ですが、mao_0525で検索して下さい。
名前がさとうまおなので、分かりやすいかと思います。

まだ使いこなせないと思いますが、私なりに情報収集してお知らせしていきたい気持ちですので、県外の方も、ご協力よろしくお願いします。

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2011.03.14

無事です。

ご報告が遅くなりました。

まだ確認の取れていない友人もいて、心配で、考えるだけで涙が出てきますが、取り急ぎ、私とハニーくんの無事をお知らせします。

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2011.03.09

レアコレ☆

レアコレ☆
今夜は眠れない(笑)。

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2011.03.08

第102回目の『音姫』は☆

第102回目の『音姫』は☆
おめでとうメッセージ祭りが続いていましたが、通常スタイルに戻ります。

今回は、お客様にDirty Old Menの高津戸さん、野瀧さんをお迎えします☆
元気いっぱいな方たちだったので、玉手箱トークだけでぐったりするほどでしたが(笑)、曲についても深くいろいろ聴きましたよ。


メッセージは、RADWIMPSなどから届いてます♪


3月10日深夜1時からの音姫もお楽しみに!

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2011.03.06

新しいお店。

新しいお店。
自分の家の近所や職場近くで、新しい建物が建ち始めた、もしくは改装が始まったとして、それはどうやら新しいお店が出来るんだなって予感がした時、どんなお店だったら良いなぁって思いますか?
ってか、そもそも、改装作業中の建物や店舗を見て、みなさんが私みたいに想像するか分からないですけど(笑)。
行きやすい場所に新しく出来ると嬉しいのはどんなお店?


私は、昔から、毎回、パン屋さんだったら良いなぁ。
って思ってました。

好きなパン屋さんもいくつかあるけど、美味しいパン屋さんは、自分の行動範囲内にいくつあっても良いと思う(笑)。

だから、新しく出来る店はきっと美味しいパン屋だ論を唱え続けること約15年。
作業が進められ、ヒントが見えてくる頃には、私の予想というか希望は、残念ながら、だいたいコンビニになったり、お弁当屋さんになったり、むしろ食べ物屋じゃなかったりして、次こそは!となっていたのでした。
なんかもう、お約束みたいなものです(笑)。
何かが出来そう→パン屋なはずだと言い張る→打ちひしがれる。
このパターンを毎回勝手にやってました。


さて、伝えたいことはここからです(笑)。
私が毎週末のように披露宴の司会や打ち合わせで通う場所のすぐ近くで、去年から工事が始まり、最近になって出来たその佇まいが、まさにパン屋にぴったり♪と、また私が懲りずに思うような建物だったんですね。
もう、ネタというか意地みたいなものですから、内心どうせまた違うんだ、とも思いながらも、「あそこ、パン屋さんになったら最高だなぁ」と思っていたのです。

で、今日もその披露宴会場に行って打ち合わせなどをしてたのですが、いよいよ今日、全貌が明らかになったのです。


その答えとは?!


なんと!


パン屋さんでした♪♪


夢が、やっと叶ったのです(泣)。


心の中で、どうかパン屋!と思いながら、「あそこ、何になるんですか?」と聞き「○○だよ」と言われ「あ、そーなんですか」と返すやりとりに慣れてたから、今日初めて「パン屋さんになるんですよ」と言われた後の私の浮かれようったらなかったです。
なんといっても、初めての予想的中ですから(笑)。
言い続けただけだけど。

おかげ様で、今日の仕事も絶好調に笑いの多いものとなりました。

今月オープンするらしいとのことなので、楽しみでなりません。
この興奮を伝えるべく、長文になってしまいました(笑)。
お付き合い、ありがとうございます。

写真は、焼きたてパンが好き過ぎて、ついに家でこねるようになった私作パン、成形前の状態です。
今年は職場の方へのバレンタインプレゼントにもパンを焼いたんです☆
自家製パンも向上させつつ、新しいパン屋さんとの出会いを心待ちに、明日からも頑張ります。

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2011.03.04

いつの間にか。

いつの間にか。
そーいえば、このブログを始めたのって、3月だったなぁと思って、自分で過去のを見てみたら、2007年の3月1日からスタートしたので、いつの間にか5年目に突入してました(笑)。
早いものです。

毎年、5月6月くらいになってから、「あ、ブログ始めて2年経ってた〜」とか「気付けば4年目か〜」と、もうここに書くには遅い時期にこっそり気付いていたので、4日で気付いたのは、私にしては早い方(苦笑)。


自分の10周年も、終わる頃の12月に気付いたし、厄年も、終わる頃の10月に気付いちゃった、そんな、鈍感な、というか疎い私ですが、引き続き、これからもよろしくお願いします☆


いつもの私のパターンで考えたら、音姫の100回も、ブログがなかったら絶対に気付かず、だいぶ過ぎてから、何かやれば良かった〜!ってなってたはずだから、自分のためにも、ここに書いてて良かったと思います(笑)。

サボり気味になってしまった時期もあったけど、せっかくみなさんと繋がれる場所なので、私らしく更新していきますね♪


全然関係ないですけど、最近、5歳下の妹が、私と間違われて話しかけられたそうです(笑)。
それで思い出しましたが、私も、妹の仕事関係の知り合いの方に、明るいところで目も合わせて話しているのに、妹だと思われたまま、5分くらい、話をされたことがありました。
それは、途中であれ?と思いながらも、訂正しなかった私も悪いし、久々に会ったっぽかったけど(実際には会ってないけど/笑)。

本人たちはそんなに似てないつもりですが、単体で見ると似てるようです。

みなさんも、私のそっくりさんにお気を付けて(笑)。

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2011.03.03

第101回目の『音姫』は☆

第101回目の『音姫』は☆
前回、100回記念の1時間では全部紹介出来なかったため、今回も引き続き、100回おめでとうメッセージをたくさんオンエアします。
お祝い気分が長く続くのは嬉しい♪
それだけ多くの方がお祝いして下さるのも嬉しい♪


今回メッセージを下さったのは…2月にZeppで超かっこ良いライブがあった、今は4人組のバンドとか…音姫最多出演の○長とか…。
ヒント難しい…。
その他、今回も豪華です☆


そして、オープニングアクトはもちろん、レアなコレです(笑)。
努力が実ればそうたやすくもう迷わない曲の再録バージョンからスタートします♪

ヒントで遊び過ぎたかな(笑)。
愛ゆえに、とご理解いただければ。


3月3日深夜1時からの音姫もお楽しみに!
日にち変わってややこしいですが、あと約24時間後です☆

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2011.03.02

車内では☆

車内では☆
名護ちゃんといろんな話をしました♪


仕事のこと、恋愛のこと、年もキャラも違うけど(笑)、いつまででも喋っていられちゃう。
気が付くと、男性たちそっちのけで私たち2人だけで話すから、「録音してオンエアするぞ」と言われました(笑)。
実際、機材も積んでたので…。
それは絶対勘弁だけど、いつか番組とかで名護ちゃんと話せたら、面白そうだなぁ。
いろいろ引き出してみたい☆

たまに邪魔はしてくるけど、インタビューの仕方だとか、2人で真面目な話をしてる時は絶対邪魔しない、実はそんな優しい心を持つ素敵な男性チームなんですよ。
と、褒めておこう(笑)。


2人で話つつも、行きはしりとり、帰りは満場一致ゲームをみんなとして、それも楽しかったです♪
頼れる人がいっぱいいるって環境は、私にとって心地良いです。

まだまだ余韻に浸ってるようで、昨日
『愛と青春の宝塚』
が、完全に
『愛と清春の』
に見えました(笑)。

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レモン牛乳☆

レモン牛乳☆
お菓子はお土産でもらったことあったけど、飲んだことがなくて、ちょっとした憧れだったレモン牛乳(笑)。

やっと飲めました♪

お風呂上がりに飲んだら美味しくて、あっという間になくなっちゃいました。
また飲みたいなぁ。

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いちごだらけ♪

いちごだらけ♪
見てるだけで楽しくなっちゃいました♪

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2011.03.01

答えはこれ☆

答えはこれ☆
梅ザーサイ(笑)。


餃子とご飯のセットに付いてきた物ですが、美味しかったので、帰りに全員が購入。
お家で食べても美味しかったです♪

ちなみに、作っているのは、山形の会社のようです(苦笑)。

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次に立ち寄ったSA では。

次に立ち寄ったSA<br />
 では。
お昼ご飯に餃子♪


お土産でも、私以外全員、餃子を買ってました。
楽しんでるな〜(笑)。

で、もう1品、それは私も含め、全員が買った食べ物があります。
写真にも写ってるけど、分かるかなぁ。

答えは次に載せますね。

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27日、帰りのSA にて。

27日、帰りのSA<br />
 にて。
ガチャガチャでゲットしたキラキラマグネットに夢中な私と、チーズケーキを買ってご満悦な角田氏(笑)。
何て顔してるの。


名護ちゃんが撮ってくれました。


天気が良かったから、寄り道も楽しかったです♪

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