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2011.04.30

石巻市4。

石巻市4。
写真は撮らなかったのですが友達の家があったところも見ました。

地震後、しばらくして、解体作業があったとのことですが、ここに家があったんだよ、と言われた場所は、基礎、というか、土台だけになってました。

そして、そこから、すぐ近くに海が見えました。


海、怖くないの?

思わず誰かが聞きました。

私は津波見てないから、平気。

そう言ってました。

でもきっと、海を見る時の感情は、変わったんじゃないかなあ。
私でさえ、海沿いを走るのは、少し恐かったし、好きだった海が、今は憎くも思えてしまう。
海を憎んだって仕方ないのも分かってるけど。


ただ、小さな声で、水位は高くなってる気がする、と言ってました。

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石巻市3。

石巻市3。
友達の家で、お互いのいろんな話をして、改めて、お互いの無事を喜びあった後、友達が言いました。

ちょっと、出かけてみる?

行くならば、友達が見て欲しいと言った時には、ちゃんと見ようと決めていた私たちですが、さすがに即答は出来ませんでした。
でも、せっかく来たなら、見て欲しいし、いろんな人に伝えて欲しい、テレビで見るのとは全然違うから、という旦那さんの言葉に、行くことにしました。


それまでの話の中でも、ここからほんのちょっと行くだけで、景色が全然違うよ、と言われていました。
初めて見た人にはビックリされるけど、地震直後より片付けられてる、とも。
だけど、それが自分たちが住んで来た、これからも住む街の現状なんだ、と。


覚悟を決めて出かけて、撮った写真が、昨日から載せている写真です。

テレビや新聞などで、見てはいた。
想像を超えてはいたけど、それを実際に見たらどんな気持ちになるか、考えてはいた。

でも、実際にその場に身を置いた時に感じる気持ちは、それ以上でした。

友達の言うように、道路は片付けられてますが、道路脇は、瓦礫の山。
捜索済み、と張られたテープ。
その意味。
所々、冠水。

本当に友達の家からちょっと車を走らせただけで、景色が、空気が全く違うものでした。
それでも、どんどんマシになってる、と言われました。

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2011.04.29

石巻市2。

石巻市2。
待ち合わせ場所に着いて友達を待ってる時も、フェンスの、下から数10センチの高さ一直線に、泥がひっかかっているのを見ました。

ここにも、低いとはいえ、来てる。

そしてここからすぐ近くのところで、友達が新しい生活をスタートさせた。

会う前から胸がいっぱいでした。


数分待つと、友達が来ました。
見つけた時、大声で名前を叫んでしまいました。

遠くで手を振って笑顔で近付いて来た彼女でしたが、側に来ると、私たちに力いっぱい抱き付き、「来てくれて、ありがとう」と言いながら泣きました。
そんな彼女を見たら、私たちも我慢出来ず…。


涙の再会となりましたが、その後は、友達の家で、たっぷり2時間ほど、いろんな話をしました。

地震から家族に会えるまでの話、避難生活の話、自宅の跡地となった場所を見た話、遠く離れた場所で自宅を見つけた話、実家の浸水の話、家の中に解凍された魚やパレットがいっぱい落ちてた話、家の周りの状態。

友達の旦那さんも一緒に話をしてくれたのですが、彼の職場は海沿いだから、地震の後、上の階に避難、そこから、一部始終を見ていたそうです。
自分の街を襲う津波。
それも何度も。

どんな思いだったか。

詳しく説明してくれたけど、そんなことってある?って思う話で、見たことはもちろんないし、あり得ない光景の話だったので言われたままを頭の中で映像化するのが不可能な程でした。
ただ、私が聞いて思い描く光景よりも、実際は、何十倍も恐ろしかったはずだ、というのだけは分かりました。

職場のあるフロアは浸水して、戻れず、そこに携帯も置いたままにしてしまったため、誰にも連絡が取れない中、動きたくても動けないまま、暗くなっていく石巻。
火事による炎の赤と、暗闇。
私の想像以上の絶望感だったと思います。


私の友達は、15時で仕事が終わるはずでした。
シフト中の地震だったため、接客業の彼女は、お客様の避難誘導に追われたまま時間が過ぎました。
彼女の職場は、津波が到達しませんでした。
でも、自宅は、津波の被害を受けています。
あの地震が、あと15分とか、ほんの少し遅かったら、彼女は、家にいたかもしれなかった。
その差だけで、彼女は津波の被害を免れた。


2人とも、助かったけど、あとちょっと何かが遅かったら、変わってた。
そんな、ギリギリの状態。
それで、逆の結果になった人も、たくさんいる。
どうしようもない悲しい気持ちと、ぶつけようのない怒り。
この2つの気持ちの入り混じった感情を、あの日から何度味わっているんだろう。

その後、水がひいてから、旦那さんが、歩きと、途中で借りたという子供用の自転車で、彼女の職場まで行き、再会したそうです。
地震から、数日後のことでした。

私に、旦那さんと家族とも会えて、無事だとメールがあったのは3月15日。
その間、本当に心配で、どうにかなりそうでした。

そしてその間に、こんなに想像を絶する体験をしていたんだ、と改めて胸が締め付けられました。


その連絡の時は、夫婦の自宅は、跡形もなくなった、って聞いてました。
だけど、数日後、数メートル先で、家を見つけたそうです。
この言葉の異常さ、なんとも言えません。
運べる物だけ、瓦礫を避けて探して取り出した、と言ってました。


大変だったね、とか、頑張ったね、とか、そんな言葉では到底足りないくらい、過酷な経験、想い。

私の友達だけじゃない、多くの人がそんな経験をした。
してしまったんです。

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2011.04.27

石巻市。

石巻市。
4月23日、石巻の友達に会いに行きました。


こちらの生活が少し落ち着いて、物も並ばずに買えるようになった頃、そっちで必要な物を買うから遠慮なく言って、とメールをしました。

友達の答えは、何にもいらない、みんなに会いたい、でした。

すぐに仙台に住む共通の友達と連絡を取り、何度も話し合いました。

私たちももちろん会いたい。
けど、たくさんの方が助けを必要としている今の状況で、多くを助けられない、ましてや助けたい友達でさえ完璧にはきっと助けられない私たちが、行って良いんだろうか?
連日の三陸自動車道の渋滞情報から、車1台動かすことが、支援への妨げになりそうだとも感じます。
途中の道や万が一の時のガソリンの状態はどうなんだろう?
でも、友達が会いたいって言ってるなら行きたい。
どうするべき?
そんなことを話している最中に、4月7日のあの余震があり、正直、移動中にまた大きな地震が来たら?の恐怖も。
また、余震があったことで、栗原に行くと決めたのと同じで、落ち着く日なんてしばらく来ない!とも思い、友達とはどうにかして行こう、の方向で話し合いながらも、グルグルと、自分にとって、友達にとって、他の人にとっての正解を探しました。

親戚に会いに石巻に行った方、私と同じように友達に招かれて塩釜に行った方などがいたので、全員に話を聞きました。
すると、実際に被災した方に会った方が口を揃えて言うのは、行けるなら行ってあげて欲しい、でした。
そして、その人が住んでたところも、怖くても見てあげて、でした。
親しい人が会いに行くことが、その人の置かれてる状況を見ることが、少しの助けになる人もいるんだよ、と。

いろんな考え方があると思います。
正解は分からないけど、私は、そういった、行け!って言葉が欲しかったみたいでした。
その言葉を聞く度に何故か泣けたし、背中を押されました。
少なくとも、私の周りには、行くなって言う人はいなかった。
これに泣けたのかもしれません。
最初から、私が思う正解は、迷惑かけずに行く、だったんでしょう。
悲しいけれど、きっと、全ての人が納得する正解はないって、どこかで感じていたから。
たくさんの人の力になるのは無理でも、会いたいって言ってる身近な友達の力にはなりたい。

それから、毎日渋滞情報を時間帯でチェックして、実際に行った方の意見を集めて、土曜日でもなるべく混雑しない時間、他の車に迷惑がかからない時間に移動をすること。
連絡を取った時、友達は女川に避難してたけど、近々石巻に戻るとのことで、戻ってから会いに行くこと。
一応行く予定の日は決めても、大きな地震があったらすぐ延期にすること。
万が一日帰り出来ない状態になったとしても、あちらに迷惑のかからないよう、それぞれ最低限の準備をすること。


そういった決めごとをして、私の車で出発しました。
これまで、石巻に行く時には感じたことのない緊張感と共に。


小雨の降る中、順調に三陸自動車道を走り、今回も、県外ナンバーの車、災害支援車両、自衛隊車両をたくさん見ました。
石巻に近づくにつれ、いつの間にか、車内の会話はなくなってました。

自宅を失った友達が新たな生活を始めた場所は、石巻河南インターから車で10分くらいのところでした。

その途中、この辺りは津波の被害はなかったのかな?と思う道を通りました。

走ってるだけでは分かりませんでした。

信号待ちで止まると感じる違和感。

ふと歩道や建物を見ると、そこに、あるはずのない物が、ある。

建物下方の色が違う。
建物の崩れ方、ガラスの割れ方が、今まで私が見た地震によるものとは違う。

ここまで来てたんだ。

車内の誰もがそう思ったはずだけど、口に出しかけて、言葉に詰まる緊張感。
私は、何に対してかはっきり分からない恐怖と、これから会う友達の体験したことの大きさを改めて感じることで、感情がぐちゃぐちゃに壊されたような感覚でした。

写真は、友達と待ち合わせをした吉野家。
お店は開いていないので、こうやって、毎日、車がやってきて、提供しているらしいです。
毎日違う県のナンバーで。
ちなみに、この日は熊谷ナンバーでした。
まだ準備の時間でしたが、車の中から、お兄さんたちの気合い入れの声が聞こえ、頼もしかったです。

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2011.04.26

第107回目の『音姫』は☆

第107回目の『音姫』は☆
先週は特別番組のため、お休みでした。


今回も、高橋優くんのアルバム『リアルタイム・シンガーソングライター』を特集したり、音楽いっぱいです。
みなさんからいただいたメッセージも紹介させていただきます。

4月28日深夜1時からの音姫もよろしくお願いします!


写真は、3月14日、久々に自宅で夜を過ごした時のハニーくん。
包まると安心するのか、気が付いたらいつの間にか写真のようになってました。

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2011.04.25

栗原市若柳13。

栗原市若柳13。
祖母の家の庭に、梅が咲いてました。

栗原の写真は以上です。

栗原市は、ここ数年だけでも何度も大きい地震を経験してますが、その度に祖母が心配で、でも連絡も取れず、逆にあちらに無事を知らせることも出来ませんでした。
今回も、祖母が公衆電話からかけてくれた電話でやっと声が聞けたし、こちらの状況を知らせることが出来ました。
それも、地震から1週間が経ってからでした。

少しでも連絡ツールを、と、宮崎に住む従姉妹が、祖母に携帯電話をプレゼントしました。
私が祖母を訪ねる数日前に届いたので、一生懸命使い方を覚えていました。

私の番号もすでに登録されていて、かけ方を確認したり、メールはまだ打てないけど読み方は分かって来たから、今、送ってみて、と使いこなそうと一生懸命な姿が、微笑ましくもあり、私の父を含めた家族や、9人の孫と連絡が取れなかったことが、余程辛かったんだということが伝わって来て、涙が出ました。

そんな思いで過ごしてた人、現在もその思いでいる人が、県内にどれだけいるか。
たくさんの方のそんな気持ちを想うと、胸が締め付けられます。

携帯だってすぐ繋がる保証はないけれど、少しでも安心出来るものが欲しい。
あの日から、そう考えるようになりましたね。


また行く予定なので、別の場所の写真も撮れたら、伝えたいと思います。

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栗原市若柳12。

栗原市若柳12。
先程の美容室の隣のお店です。

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栗原市若柳11。

栗原市若柳11。
祖母宅のすぐ近くの美容室、入り口です。

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2011.04.24

栗原市若柳10。

栗原市若柳10。
祖母宅のすぐ裏の建物。


私が、祖母の家に行く道の目印にしていた1つ。
こうなっていたから、一瞬、道が分からなくなりました。

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栗原市若柳9。

栗原市若柳9。
祖母の家の前の道路です。

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栗原市若柳8。

栗原市若柳8。
間が空いてしまいました。


昨日は石巻に行って、また写真を撮ったり、話を聞いて来ました。
やはり、多くの人に伝えて欲しい、とのこと。


まず、栗原市の写真を載せてから、石巻市の写真を載せますね。

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2011.04.22

栗原市若柳7。

栗原市若柳7。
同じ建物の入り口部分です。

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栗原市若柳6。

栗原市若柳6。
先程の写真と同じ建物です。

こちら側は、壁ごと、崩れたようです。

祖母が写ってしまいました…。


そして、連絡が遅くなりましたが、今日は特別番組のため、音姫はお休みです(>_<)

今頃すみません。

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2011.04.21

栗原市若柳5。

栗原市若柳5。
祖母宅から、迫川を渡ったところ。

下に落ちてるのは瓦のようです。

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栗原市若柳4。

栗原市若柳4。
祖母宅から、ちょっと歩いたところです。

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栗原市若柳3。

栗原市若柳3。
先程の写真の右隣です。

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栗原市若柳2。

栗原市若柳2。
祖母宅の向かいのお宅前です。

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2011.04.20

栗原市若柳。

栗原市若柳。
4月18日、父方の祖母が住む若柳に行って来ました。
3月の地震で、震度7、4月の余震で震度6強だった栗原市にあります。


地震の前から、祖母とは良く電話で話していましたが、地震の後、その回数が増える中、前と同じように話していても、今まで1回も聞いたことのない弱音を言うようになって、それがずっと気になっていたのです。

それでも、来るのは地震が落ち着いてからで良いから、と言われていたけど、今の状況で、いつ落ち着くかなんて全く分からないし、私と会うことで少しでも元気になれるなら、と思い、お土産にパンを焼いて、ハニーと向かいました。


高速道路は、泉インターを過ぎて少しした頃から、段差のあるところが増え、50キロ規制に。
聞いてはいましたが、思ってた以上にボコボコした道となっていました。
現在も道路を直している箇所がいくつかあるので、1車線になるところも。

途中、県外ナンバーの支援物資を積んだ車や災害支援車、警察車両、自衛隊車両、重機を載せた車などをたくさん見かけ、その数は乗用車よりも多い気がして、心強いなぁと思ったと同時に、まだまだこういった状況なんだ、と実感させられました。

若柳金成インターを降りると、さらに道路状況も悪くなり、今まさに道路を直している箇所も多くなりました。

3年前の岩手・宮城内陸地震のすぐ後にも同じ道を通っていますが、それ以上の被害だ、というのは、すぐ分かる道路状況でした。

しばらく走るとある商店街は、普段もそれ程騒がしい町ではないのは分かっていますが、地震の影響でガラスが割れていたり、一部損壊していたり、シャッターを閉めている店が多く、いつも以上に静かで、寂しいものになっていました。

そのすぐ近くに、祖母宅はあります。
駐車場が少し離れているのですが、いつものクセで、まず祖母宅の前に車を止めて挨拶して荷物を降ろしてから駐車場に行こう、と、祖母宅に通じる道に入ろうとしますが…道が、分かりませんでした。
それは私が道を忘れたのではなく、様子が変わっていたためです。
確かに、1人で来たことはなかったですが、小さい頃から何十年も見てる道。
忘れるはずがありません。

あれ、この辺だったよな?と思った時には通り過ぎてました。
この時は気付きませんでしたが、いつも私が目印としていた建物のいくつかが、倒壊していたこと、ビニールシートで覆われていたこと、道路が陥没して狭くなっていたことが後で分かりました。

知らない町に来ちゃったみたい。

そう思いながら、ひとまず車を止めて、別の道から歩いて祖母宅へ向かうと、広がっていたのが、写真の風景でした。
ちょうど祖母宅の玄関前で撮った写真です。
分かりにくいかもしれませんが、道路右側が陥没してます。

聞いてはいたけど、ここだけでこんなに?と思いました。

これでも、道路の亀裂に白いマークが付いたり、陥没がひどかった箇所には砂利が敷かれたから、良くはなってる、と祖母は話していました。

祖母の家の中も、聞いていた通り、玄関、台所が、傾いていました。
見た目には分からないから写真を撮らなかったのですが、真っ直ぐ立ってるつもりなのに、違和感を感じる斜め具合い。
傾いたのは3月の地震からで、4月の余震で、さらに玄関にも若干の亀裂、段差が生じたそうです。

台所から玄関に向かう戸のガラスが割れていたのですが、それは、電子レンジが戸まで吹っ飛んだため、と聞きました。
震度7。
どんなに怖かっただろう。

ちょうどお昼ご飯の時間に着いたので、ご飯を食べながら、地震発生時の様子と、これまでのことをいろいろ話してもらいました。

元々、明るく、元気いっぱいなおばあちゃんで、家でも外でもじっとしてない人、って私が思ってる人です。
その祖母が、地震の後、怖くて家から出ていない、と。
冬に電話で話した時に、寒くてこたつから出ていないの、って冗談で言ってたのとは訳が全く違う。
怖くて、です。
しかも本当に、家の前、数メートルで近所の人と話すくらいしか出れてない、と。

小さい時、暗いのが怖い、虫が怖い、ととにかく何でも怖がる私に、面白い理由を無理矢理付けて、笑わせて、怖さを和らげてくれた祖母だから、相変わらず、明るく、よく笑い、冗談もいっぱい言ってたけど、時々発する、怖い、という言葉は、私には重く、一大事。

電話でもそのことは少し聞いていたので、今回、私が行って、果たしたいと思っていたのが、歩くのも好きな祖母と、少しでも外を歩くこと。

すぐ近くの迫川の向こうも、被害がひどいと聞いてはいれけど、家から出るの怖いし、気になるけど見てない、と言うので、一通り喋ってから、私にとっては勇気を出して、言ってみました。

私、ハニーくんと橋渡って散歩してくるけど、一緒に行こうよ。

いつもなら、行く!ってすぐ言うのに、しばらく考えてました。
昼休みで家にいた叔父から、行って来たら良いんでない、一緒なら行けんでないの、と言われて、んだか?となって、しばらくしてから、やっと、行ってみっか、となりました。

小さなことかも知れませんが、私には、すごく嬉しい言葉でした。

気が変わらないうちに、って、じゃあ暖かいの羽織って、準備して!って言った私を、叔父がかなり応援していたので、一緒に暮らす家族も、祖母が家から出ないことを気にしていたんだと思います。

見事連れ出しに成功してからは、いつも通り。
歩くのが好きなだけあって、スタスタと、あっちさも行きたい、○○さんとこさも行きたい、と、たっぷり往復1時間ちょっと、ハニーと歩きました。

途中であった余震の時には、足がピタッと止まって、やっぱりこういうことがあるから、1人では出かけられない、と言ってました。
なら、また私が来た時に散歩しようね、と約束しました。


散歩をしながら、見た景色。
報道は全くされてないけど、本当はここもこんなにひどいんだよって言う祖母。
出来れば、伝えて欲しい、とも。

悩みました。
私にはそんな力ないよ?と。
それと、自分の中にある、今頃行った私が、数時間滞在して見た風景は、全てじゃないから、伝える資格はない、という気持ち。

だけど、祖母の気持ちは叶えてあげたい。
私自身も、地震による被害、震度7がどれ程だったのか、せめてこのブログを見ている方に伝えたい気持ちになったので、撮って来た写真を、この後続けて載せます。

周りに、栗原の現状を知りたい方がいましたら、教えてあげて下さい。
でも、あくまで一部、そして、3月の本震から1ヶ月以上が経って、市のチェック、簡単な補修なども入った状態であることを踏まえて見て下さい。

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ハニーくん。

ハニーくん。
3月13日、私が避難してたマンション1階で過ごした最後の夜。

私も横になることが出来るようになった、というか、横になった方が良い、と言って、寝床を作って下さった方がいました。

疲れもピークだったから、ハニーと、ここで寝ました。

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2011.04.19

自宅6。

自宅6。
ゲストルームというか、友達が泊まりに来た時に使ってもらっているお部屋です。

旅行トランクが倒れたり、サイドテーブルが動くのは分かりますが、地デジ化がまだのテレビが…見事逆さまでした。

どっちがテレビでどっちがテレビ台か分からないかも?(苦笑)

テレビの底が上になってて、画面はテレビ台側。

4月の余震では、全く違う落ち方をしたので、それもいずれ載せられたら。

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自宅5。

自宅5。
なんとなく、CDやDVDのみも撮ってみました。


目眩が起きました。

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自宅4。

自宅4。
昨日は栗原市若柳に行って来て、かなりひどい状況を見て、写真も撮って来ましたが、まずは自宅写真を、載せられる分、載せます。


3月の地震後、棚から落ちたCDなど。
4月の余震では、ここまではなりませんでした。

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2011.04.18

自宅3。

自宅3。
普段は、もちろんこんなぐちゃぐちゃな配置にしてませんよ。

テレビが、すごく前に来てました。
でも、壊れなくて良かった。

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自宅2。

自宅2。
台所。

手前の茶色のは、食器棚です。

これでは分からないけど、奥のピンクの冷蔵庫も、元はこの位置ではありませんでした。

もっと分かりにくいですが、電気オーブンは、食器棚の下に落ちてます。

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2011.04.17

自宅。

自宅。
3月の本震の後の様子です。


これは、本棚です。

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とある建物。

とある建物。
これも3月13日に撮りました。

ハニーくんの散歩コースとして良く通る道。

今は撤去されましたが、しばらく、ここの歩道は通れず、車道を歩くしかありませんでした。

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2011.04.16

ハニーくん。

ハニーくん。
3月13日朝のハニーくんです。

最初の2日間は、横になるという行為が怖くて、私はパイプ椅子に座って寝てました。

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2011.04.15

明日。

明日。
午前9時から、仙台市天文台が再開しますね。

今日は、明日、その天文台でコンサートを行うユニット、L'imageのみなさんに番組に出演していただき、生演奏も披露していただきました。

3人とも、現在仙台にお住まいなので、もちろん地震も体験し、余震の恐怖も消えず、こんな時にコンサートをして良いのかどうか、相当悩まれたそうです。

だけど、演奏している時は、恐怖感を忘れられたそうで、その気持ちを少しでもみなさんに届けられれば、と言っていました。

明日、天文台で14時からのコンサートです。
良かったら是非。


今日、天文台の話をしていて思い出したんですが、3月11日の地震の後、停電して真っ暗だった夜空は、こんなにも綺麗なのかってくらい、星が綺麗でしたよね。
また、星も近く感じて。

その綺麗さが、痛くもあり、暖かくもあり、切なくもあり…。
不思議な感情でした。

でも、どちらかと言うと癒された、ホッとしたのかな。
その気持ち、プラネタリウムでまた味わいに行きたいです☆

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2011.04.14

第106回目の『音姫』は☆

第106回目の『音姫』は☆
先週は、幻の回となってしまいましたが…。


今回も曲たっぷりで構成してます。

前回オンエア出来なかったので、この場を借りてお礼をさせていただきますと…いつもコメントを下さっているストラトキャスターさん!
メッセージとリクエスト、先週ご紹介していたんです。
今週から、その曲をオープニングアクトとしてオンエアし続けますので、お楽しみ下さい。
番組へのメッセージ、ありがとうございました!

当日になってしまいましたが、今日深夜1時からとなります。

写真は、3月13日の朝、マンションの方が作って下さったおにぎりです。
美味しかったなぁ。

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2011.04.13

やっと。

やっと。
今朝から、ガスが使えるようになりました!

私の家に来た方は、静岡から来ている方で、天童市に泊まっているそうです。

本当に、有り難いです。


まだまだ余震も続いてるし、心も折れて、どうしようかと思いながら過ごしていたけど、ちょっと元気になりました。


午前中の収録もウキウキしながらやれて、午後は、地震後初となる、披露宴の打ち合わせでした。

実は今日まで、ノーメイクか、ちょっとのメイクで過ごしていたのですが、久々にフルメイクです(苦笑)。

ラジオ以外の仕事も始動した。
電気・水・ガスは使える。
ガソリンも落ち着いたし、大好きな車にも乗れてる。

私の生活は、徐々に元に戻りつつある。
けど、気持ちは戻らない。

そのギャップが埋まるのはいつなのか、そもそも埋まる日は来るのか、相変わらず分からないままですが、何か、遠くから来て下さった方に会ったことで、今日も頑張ろう、と思えた日でした。


早速、今から我が家のお風呂に入りに来る友達が2人いるので、今まで私がいろんな人に助けてもらった分、快適なお風呂空間を作ろう。
ダイニングルームの片付けは終わってないけど。


写真は、3月12日、マンションの1階に避難していた時のハニーです。

奥に写ってるピンクのが、イトーヨーカ堂さんからいただいた敷毛布です。

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2011.04.10

秋保温泉。

秋保温泉。
佐勘に行って来ました。

今日は天気も良かったから、全てが気持ち良かったです。

佐勘には、現在、一般の宿泊客はいなくて、全国のガス局の方が泊まっているんですね。
すごい人数の方が来ているのは分かっていたつもりだったけど、1つの宿だけで、こんなに泊まってるんだ!という人数を改めて知って、感謝の気持ちが溢れ、心強いなぁと、何だか嬉しかったです。


温泉も本当に気持ち良くて、触れ合う人も暖かくて、友達と会えたし、とっても楽しい日でした。

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泉中央駅。

泉中央駅。
3月11日16時頃の写真です。

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泉中央駅ビル。

泉中央駅ビル。
3月11日、スウィングビル階段の写真です。

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2011.04.09

写真。

写真。
今まで文字だけだったから、ここからは写真も載せていこうかと思います。

まず、3月11日、地震直後のfmいずみの様子です。

窓のない場所なので、停電したら、薄暗かったです。

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2011.04.08

昨日…。

みなさん、大丈夫ですか?

私は、まさにブログを書いてました。
完成して、読み直して、更新しようって時の地震でした。

そのまま載せます。

↓↓

そろそろ、ここの時間と現実の時間を合わせようと思います。


28日からは、仕事に出かける日も増え、地震の前に近付いたような生活をしてます。


でも、シャワーやお風呂のためにお金を払ったり、いろんな人の家に行ったり…は、もちろん今までなかったことですね。
ポットで沸かしたお湯を使っての、洗面台でのプチお風呂タイムも、慣れました(苦笑)。

ご飯は、ホットプレートでおかずを作って、すぐお皿に移して、ホットプレート洗って味噌汁作って、その間にサラダなどの熱を加えないものを作る…って感じの毎日です。
お皿に移した料理にラップして、保温だけのためにレンジに入れておけば、味噌汁が出来た頃も、加熱しなくても暖かいまま、そのまま食べられることに気付きました。

不便は不便だけど、やってやれないことはない、って感じで過ごせているので、贅沢だと思います。
ガスが来れば、生活自体は元通りですからね。


ただやっぱり、同じ宮城県で、悲しみ、辛さ、絶望、不安、窮屈、孤独などを感じている方がまだたくさんいらっしゃることを思うと、気持ちは、元には戻れない気がしてしまいます。


ふとした時に、思い出してしまう。
ふとした時に、心の中に、不安がすごい勢いで広がる。

もう悲しいニュースや映像は聞きたくない、見たくない!って思うこともあるけど、ちゃんと受け止めなきゃ、見なきゃ、っても思う。

乗り越えられない壁はないって言うけど、何か、乗り越えるって表現は、私にはピンとこない。
失った大切なものを切り捨てるような気がして、乗り越えるじゃない、壁じゃない、って思ってしまいます。
考え過ぎなのかもだけど。


モヤモヤした気持ちがいつ消えるのか、消えないままなのか、分からない。


けど、それならそれで、今は無理に答えを見つけず、自分の思ったことを、正しいと思うことをするしかないな、と思います。


もうすぐ、地震から1ヶ月。
すっごく早かったような気も、すっごく長かったような気もしています。
いや、でも、1ヶ月じゃ、答えは出ませんね。


次からは、地震直後から撮ってきた写真なども載せていけたら、と思ってます。

↑↑

と、書いてました。

ますます、答えに辿り着く気がしなくなりましたが…。

うちは、幸いにも地震後も電気、水が使えたし、また片付けのやり直しではありますが、私もハニーもケガなく無事です。

大きな揺れに、約1ヶ月前を思い出したのか、プルプル震えたハニーをすぐ抱っこして、携帯だけ持って、廊下の壁に何度もぶつかりながら玄関を開けて、揺れがおさまるのを待ちました。
ハニーと一緒にいられたことだけは、良かったと思います。

家族も、栗原や利府の祖父母も、親戚も無事とのことです。
また停電してるみたいですが(>_<)

心配ばかりの毎日で、胃が痛いです。


みなさんの状況もお知らせ下さい。
今後も、焦り過ぎないように、落ち着いて、ある程度の備え、準備はして、気を付けてお過ごし下さい。

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2011.04.06

第105回目の『音姫』は☆

今回も、みなさんからのメッセージ、リクエストと、いろんな曲をお届けします。

収録後に発表になったこともあって、足りない情報もありますが、ご了承下さい。

実は先週のオンエアから、するっと自然に4月に入りましたが、4月からも変わらず木曜日深夜1時からのオンエアになります。

4月7日深夜1時からの音姫も、どうぞお楽しみ下さい。

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2011.04.05

3月26日と27日。

本当は予定がいっぱいだったはずの土日。

仕事もだし、ライブもだし、友達との約束も。

そういう、地震前に決めた約束の日に、もちろん果たせずに過ごすこと、慣れてきたようで、相変わらずダメージは受けます。


2月の早い時期、この土日に、東北のLUNA SEAファンで集まって大きい飲み会をしよう、と企画し、連絡をくれた石巻の友達は、実家、自宅、猫ちゃんを失いました。
今は女川の親戚の家にいるそうです。

流された自宅から物も取れたし、ご飯も食べられてるし、これから住む場所も決まって、引っ越すから大丈夫〜と、メールをくれたけど、辛い思いもいっぱいしてるんですよね。

いつか、落ち着いたら、東北のSLAVEたちでドカンと集まろう。

その彼女の願いは、全力で叶えたいと思います。


日曜日には、私の家の近所で飲食店を営む父の友達が、わざわざ私の分のお弁当を届けに来てくれました。
この日、初めて電話で話した方です。

そういった、人の優しさに対する感動は、日に日に大きくなっています。
この気持ちは忘れたくない。
忘れるわけないですね。


そしてこの日は、亡くなった親戚の火葬の日でした。
交通機関やガソリンなどへの配慮から、その方の息子さん娘さんだけでする、との連絡があり、私は自宅にてお別れの言葉を心の中で呟くことしか出来ませんでした。

それでガソリンを使い切っても、祖父母や母などをそこに連れていくことが、私の役割な気がしていたけど、こんな状況でも人を思いやるのがその方のお子さんだ、というのも十分分かっていたから、私たちは自粛することにしました。


まだ実感が湧かないけど。
まだ石巻でニコニコ過ごしている気がしてるけど。


きちんとしたお別れも、いつか絶対したい。

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2011.04.04

3月25日のこと。

fmいずみで、13時から17時までの生放送を担当すべく、朝から準備をしてました。

もちろん、スタッフ分のパンも持って。

いつもは泉までは車で行きますが、何となく、ガソリン温存したくて、地下鉄とバスで行くため、早く出よう、と準備が終わった頃、近くに用があって来ていた方から電話があり、乗せて行っていただけることになりました。
こういうことも、有り難いです。

行きながら、吉野家が開いてるらしいから、持ち帰りしてお昼ご飯にしませんか?と提案され、もちろん承諾。

前日から営業を再開したという吉野家は、たくさんの人がいましたが、お店の方が一生懸命、ほとんど待たせることなく牛丼を提供していました。
そんな姿に、毎回心打たれるようになってしまいました。

まだスウィングには入れなかったので、この日は、泉区野村にある商工会から生放送でした。
いつもと勝手の違う場所、ほとんど喋りっぱなしの放送、ということで、牛丼を食べながら打ち合わせ。

だいたいの流れを頭に入れたら、あとは入って来る最新情報を随時喋り続けた4時間。

長いはずが、オープンしたお店の情報も多かったので、あっという間でした。
伝えながら、頑張っている方たちの姿もたくさん見えて、励まされた感じでした。

帰り道、台原駅まで車で送ってくれたスタッフたちと、また少し食料も買えました。
なかなか買えずにいた野菜を目にして、大感動でした。

私が作ったパンも、その場でペロリと食べる方、家にいる家族と分けたいと半分だけ食べる方、夜、改めて丁寧なお礼メールをくれた方など、いろいろでした。

自分が、アスパラガスとブロッコリーを見て感動したことや、パンに対するみなさんの行動や言動に、今、お腹をいっぱいにするだけじゃない食べ物がとっても大事ってこと。
家族や、大切な人のことが常に頭にあるってこと。

それを痛感した気がします。


地震から2週間。

今ある物で足りないものを補い、元気に前を向いて生きてく術を身に付けたと言っても、やっぱり、足りない物が多いんだなって。
贅沢は言えないけれど、今までしなくて良かった我慢もいっぱいしてる。
でも、それを口に出しても意味はないから、みんなで励まし合って、助け合って、笑える人からいっぱい笑っていこう。

この2週間、私が接したみんなから、そんな想いを感じました。
人と人とのつながりが、より濃くなったとも思います。

またね、って言う時も、必ずもう一言、気を付けてね、をどこに行っても、誰からも言われるように、また自分も口にするようになりましたね。
これも、今の状況をすごく表している言葉な気がします。


1度家に帰ってから、元気に頑張ってる人をもっと見たくなって、国分町に出かけました。
まだ開いてない店もあるけれど、地震当日に通った時、街灯もなく真っ暗で、生まれて初めて怖い、と思ってしまった町の1つだったので、活気が溢れ始めたのなら、そこに行きたいと思ったのです。

あそこも開いてる。
ここも開いてる。

見るだけで、なんだか嬉しい散歩道となりました。


店選びに悩んだ末、牛タン定食を食べて、勢いづいてもう1軒。
食べた、飲んだ、全ての物がご馳走でした。

お店を出る時にも、店員さんに必ず言われた、気を付けてお帰り下さい。
きっと前までならば、またお待ちしてます、だったところ。

なんか、受ける与えるよりも大事な気持ちが、立場、年齢なんかを越えて、いっぱい芽生えている感覚。

今まであんまり気にしてなかったけど、こんなにも人を暖かくさせる、安心させる言葉だったのかぁって、思いました。


ちょっと前まで、外を歩くと、壊れた道路や建物、閉まったままのお店を見ることになり落ち込む、と思ってたけど、2週間経ったら、外を歩くと元気になるように。
頑張ってる、そして笑顔の人が、一生懸命な姿が見えるから。
それが日に日に増えているのが目に見えて分かるから。

人ってやっぱりすごいなぁ、やっぱり好きだなぁと思った日でした。

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2011.04.03

3月23日と24日。

3月23日と24日。
いろんな方と会って、今、何が食べたいかって話をすると、多くの方が、パン、というのに気が付きました。

確かに、パンはあまり買えません。

これはもしや、私の出番かも、と思いました。

牛乳と卵も手に入りにくいから、自分のスキルで、しかも今ある材料で作れるか分からなかったけど、今まで作ったことのあるパンのレシピを開いて、材料をチェックしたら、何とか作れそうなパンを数種類見つけました。

自分のパン作りの趣味が役に立つなら、と、パンを作って過ごしました。

ちょうど、強力粉を2キロ買ったばかりだったっていうのも、何か必然性を感じました。
塩や砂糖など、他の材料が切れない限り、かなりの量が作れそうです。

多くの人に配りたいから、いつも作ってた大きさよりも小さく、形も変えて、数を多くしました。

結果、見た目は綺麗じゃなくなったけど、1種類目は、写真の、ドライトマトとお魚ソーセージを入れたトマト味のパンが出来ました。

これが、1回に焼ける分なので、こねては焼く、をひたすら繰り返し、たくさん焼きました。

味見も兼ねて久々に食べた出来たてパンは、本当に美味しくて、しばらくの間、時間がある時はパンを作って、欲しいと言ってたみなさんに配ろう、と決めました。

マンションのお世話になった方や職場の方など、身近な人へと、対象は限られてしまいますが、やっと、自分でも役に立てることを見つけた気分でした。


無心でこねることで、気分転換にもなりました。

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2011.04.02

3月22日のこと。

音姫の収録をしました。

オンエアするはずだったゲストとのインタビューはあったけど、ゲストさんには申し訳ないけど、ディレクターに了承を取っていただき、今収録したものを、と、リスナーさんからのメッセージやリクエストを中心に構成しました。

いろんな方の、無事を知らせるメッセージやリクエストに、リアルタイムではなく収録、というもどかしさもありましたが、深夜に寂しさや不安を感じている方の力に、少しでもなれれば、と、いつも以上に心を込めて話しました。

いつも一緒に働くみんなの顔を見られて、またホッとしました。

私からも差し入れを持って行ったけど、逆に、うどんをいただいたので、早速、夜ご飯に焼きうどんにしました。

この頃から、どこかに何かを持って行って、その代わりに思いがけず違う何かをいただく、というのが、よくあることになりましたね。

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2011.04.01

3月20日と21日。

誰かに何かをする前に、まず、自分のことからきちんとしよう、と、改めて、お部屋の掃除をしました。

正直、また大きな余震が来るなら、全部片付けてもどうせまた…と思っていたのですが、その時はまた片付け直せば良い、とやっと思えました。

少しずつ、ある程度は片付けていたものの、また落ちてくるのでは、と、本棚や、高い所に置けずに、下に置いていた物が残ってたので、それを元あった位置に戻す作業。
大量のCDやDVDも、ちゃんと、元の順番に並べました。


2日間、全ての部屋を片付けたら、すっきりしました。
もっと早くにそうするべきだったのかも。

ガラスが割れた食器棚などは、自分の車では運べないし、しばらく部屋やベランダに置いておき、いつか落ち着いたら、粗大ゴミに出して、新しいのを買おうと思います。


20日からはちゃんと寝室で寝るようにして、気持ちよりも生活から、無理矢理元のスタイルに戻そう、という作戦です。

ホットプレートも手に入れたので、ガスが使えなくても、味噌汁や煮物、炒め物など、自炊メニューの幅が広がりました。
こんな時は、より、自分で作るご飯が、1番ホッとしました。

でも、まだまだ十分に食べられない人が多いと思うと、申し訳ない気持ちもあります。

こうやって、自分が日常を取り戻す度に、どこか申し訳ないと思ってしまう気持ちは、いつまで続くのでしょうか。

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